医局日記

【雑誌紹介】~精神障害とこだわり~


臨床精神医学第46巻第8号 臨床精神医学第46巻第8号 発行日:2017年08月28日

〈企画趣旨〉
臨床においては,例えば,「(前頭側頭葉型)認知症なのか? それとも本来の自閉スペクトラム症圏の性格傾向が先鋭化したのか?」と迷うケースや,「本来自閉スペクトラム症圏だったのか? それとも外傷による脳損傷によるものなのか?」と診断・判断を迷うケースが少なからずある。また強迫症は言うまでもないが,うつ病や摂食障害なども「こだわり」が強い例が少なくない。
広く臨床を眺めてみると,「こだわり」を呈する精神障害は少なくない。DSM-5作成時には「強迫スペクトラム障害」という疾患概念が検討されたらしいと聞いているが,「こだわりスペクトラム」という概念もあってよいのかもしれない。「こだわり」は,「強迫的」に似たものとして扱われることもあるが,より自我親和的な思考や行動を表しているようでもある。しかし,より能動的な「こだわり」もあり,多様である。本特集では,さまざまな精神疾患における「こだわり」について,その表現型や理解の仕方,治療や支援について記していただき,「こだわり」について考えてみたい。
「こだわり」に限局すると執筆しにくいと思いますので,「こだわり」にあまりこだわらず,ご自由にお書きいただきたいと思います。


自閉スペクトラム症とこだわり (順天堂大学)広沢 正孝・他

ASD(自閉症)の「こだわり」について、1995年のMcDougleらは「自動操作」「保続」「没頭」「自己刺激行動」「常同性」「変化への抵抗」などと記述した。この名称の多さは、いかに既存の精神医学概念に当てはまりにくいかを示唆するものである。現代のDSM-5の記述においては「反復性」「固執性」「儀式性」「限定性」が強調されている。両者の記述例からはASD者当人の姿勢が注目され、それは当人が「こだわり」の意味ないし理由を明確に自覚していない点にある。

ASD者は中枢性統合—認知した対象が自分や他人にとってどのような意味を持つのかを捉える能力—が弱く、部分的な事象から全体の流れをつかむことが困難である。原則的に、そこに不快感や不安感は伴わない。強迫性障害のような安全確認のための強迫行為は生まれにくい。また、ASD者は共同注意—他者の注意を理解して態度を共有する、自分の注意を理解させ他者に共有してもらう—が弱く、それが「こだわり」の原因にもなる。例えば通常と異なる道順を嫌がる、など。他者と一緒に歩きながらお話する、ということが苦手で、もっぱら外の風景を注視しがち。
ASD者は運動感覚、内部感覚が敏感。その感覚が自分にとっていかなるものか、という志向が働きにくく、感覚をありのままに感じるため、快感を伴うものであればずっと繰り返す(回り続けたり)。不快な感覚であれば執拗に避け、苦痛を訴え続ける。

以上のようにASD者は自己-世界全体の認知が働きにくいため、こうした「こだわり」が生じる。

高機能ASD者の場合、「こだわり」が社会適応的に働き得る。遺憾なく「こだわり」を追求し社会貢献を果たすこともある不滅性、絶対的真理に惹かれる傾向があり、それを追求し、心的エネルギーが注がれ続ける。普通の人にとって困難な作業であっても、ASD者にとっては苦痛や疲れが認知されない。


うつ病とこだわり (自治医科大学)阿部 隆明

うつ病患者には病前から、ある種のこだわりがある。それが気分の不安定さを抑え込んでいるが、破綻すると発症につながる。執着気質には社会規範への同一化、メランコリー親和型には秩序との一体化、自己愛的性格には理想へのしがみつき、抑うつ者には保護的な人物への過度な依存、という広義のこだわりがみられる。

死ぬことへのこだわり
うつ病体験から直接生じる死への衝動がある。(筆者は「メランコリー性希死念慮」と表現。)うつ症状による制止が強いと、「何もしたくない」「何も楽しめない」となり、自殺のエネルギーすら沸いてこない。自殺の危険が生じるのは制止が緩む時期。苦痛に満ち喜びのない時間が永遠に続く…それを断ち切ろうとする行為が自殺企図なのである。「死ぬことだけが頭の中をぐるぐる回っている」「とにかく死にたい」…死へのこだわりの内実は、こうした制止を乗り越えようとする衝動を反映しているのである。

うつ病のこだわりへの対処
治療者は患者の語りが一巡するまで傾聴し、十分に受け止める。「この不安は病気によるもので、治療により必ず良くなる」と保証したうえで、その語りに切れ目を入れる。それを根気強く繰り返す。こうした試みは一見、無駄に思われがちだが、後に患者から、このときの対応について感謝されることもしばしばである。


統合失調症とこだわり (帝塚山学院大学)深尾 憲二朗

前駆症状?

統合失調症の急性発症に先立つ前駆期に、確認強迫・洗浄強迫などがよく出現する。特に思春期発症のケースにおいてよくみられる。一つの解釈として、得体のしれない不安に対する反応的・対処行動として強迫症状が現れるという考え方。
破瓜型の場合、どうでもよいと思われるようなことに対するこだわりが現れることが多い。「どうして〇〇は××なの?」と、子供じみた質問を繰り返し、丁寧に答えてもなかなか納得しない。これは自明性の喪失を表していると考えられる。当たり前のことが当たり前でなくなり、世界全体が謎めいてくるという、統合失調症に特有の精神病理である。

統合失調症では、身の回りのあらゆることが不自然で不合理と感じる。心気症的な身体症状へのこだわりがみられることがあるが、これは一次的な病的体験(いわゆる幻覚、妄想)があって、その理由を本人が解釈しようとするなかで形を変え、身体化されたものと考えられる。社交不安のように「自分の顔や体型が変だ」と人前に出るのを嫌がることがあるが、社交不安障害のように他人と自分を比べているのではなく、自分を見る眼が歪んでいて自分だけおかしく見えることから生じている。


まとめ、その他

学生、研修医の諸君、「こだわり」=「強迫症状」ではないぞ。恰好つけて無理に専門用語使わんでよろしい。
「こだわり」という単語、文字にすればシンプルですが、その本質を見極めようとすると難しい。しかし精神科医の立場としては、正しい診断、適切な治療プロセスに至るためにも「こだわり」が何から生じているのか、どういう精神病理なのか、を追求し、見極めることが求められる。「こだわり」によって自身を保とうとする、こだわらざるを得ない、という背景まできちんと辿り着こう。場合によっては、こだわりを活かすことが正解になることも。

今回は一部の疾患のみpick upしましたが、同誌においては「強迫性障害」「身体症状症」「摂食障害」「認知症」「脳損傷」など、他の様々な疾患における「こだわり」についても解説されています。


以上。