やる気が出ない、それは宿命
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E5%91%BD%E8%AB%96
Wikipedia 宿命論(fatalism) より
世の中の出来事はすべて、あらかじめそうなるように定められていて、人間の努力ではそれを変更できない、とする考え方。
イスラム教には、まだ生まれていない人間も含めてあらゆる人の人生や、世界に起こるあらゆる出来事は天地創造とともにアッラーによって既に定められている、という変更不能な運命を表す「キスマト」という概念がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%AE%9A%E8%AA%AC
予定説より
予定説(預定説、よていせつ)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。
予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E8%AB%96
決定論(determinism)より
あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする立場。
科学の領域においては、近代になると(道徳的な次元の問題としてではなくて)人間を含めた物質を粒子の集まりとしてとらえ、その挙動によって粒子の未来の位置は決定されていると考え、結局人間の意志や思考を含めて絶対的に未来が確定されている、と見なしたり主張したりする者が現れるようになった。
ラプラスの悪魔( Laplace’s demon)とは、主に近世・近代の物理学分野で、因果律に基づいて未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念。フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された。
…うん、やる気が出なかったので、Wikipedia読み漁って過ごしてしまった。
やる気が出ない今日この瞬間の私は、あらゆる現象の結果として生じたものなのだ。
宿命なのだ。どうにもならなかったのだ。気にしても仕方ない。
あるがままの自分を受け入れ、明日に期待しようではないか。
ちなみに量子力学の世界ではコペンハーゲン解釈というものがある。
決定論が否定されたわけではないが、考え方としては古い。
私も、やる気があるときは「死んでる猫すら生還させてみようぞ」という脳筋シュレディンガー主義である。
時と場合によって都合よく使い分ければ、それで良し。
以上。